最近観た映画 -2016年2月後半〜3月前半

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スティーブ・ジョブズ

三部構成のオペラが如く、完成された構成。徹底的に間を廃して隙を与えない舌戦に次ぐ舌戦、自らのポテンシャルへの絶対的自信とそれからくるキャラクターの異常にまで見える傲慢さ、そしてシークエンスに的確にマッチさせ確実に物語を盛り上げていく劇伴は圧巻。特に劇伴はそれぞれのシーンに合わせテクノ、クラシック、オペラ、ロック、アンビエント、そしてボブ・ディランと異なるジャンルを巧みに使い分けていて、改めてダニー・ボイルのセンスに感服した。

以上のことは全てが脚本家を同じくするデイヴィッド・フィンチャーの「ソーシャル・ネットワーク」でも言える。だが決定的に違うのは今回の主たるテーマである「親子」の関係性について。誰が誰に対して「親」であり、そして「子」なのかという多重的なこの関係性について見ていくと驚くほど深みが備わっていく。大人になることを拒み続けたザッカーバーグと大人になる決意をしたジョブズ。セリフを中心に映画を構成するという同じアプローチで真逆となる主題の映画を一人の脚本家、アーロン・ソーキンが生み出したことも実に興味深い。

 

 

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キャロル

圧倒的な美的センスによる画面の色彩バランス。ケイト・ブランシェットの赤とルーニー・マーラの藍を基調にし、50年代の見事な意匠に合わせてセット、映像を配置・配色していく計算し尽くされたコーディネートに息を飲む。

夫に騙され、子供を奪われ、親友に愚痴をこぼしていても美しさに隙を見せないケイト、変なニット帽で男にも女にも、恋人にもそれ以外にも隙を見せつけまくる麗しいルーニー。その対比によって2人の関係性がとても見事に描かれ、お互いの美点に惹かれ、女性が女性に好意を抱くという映画自体の主題に直結していく。そして展開していくにつれてそれぞれの方法で自立し、2人の関係性が瞬間逆転するその一瞬だけこの映画で唯一真の弱さをのぞかせるケイトがたまらない。

余談だけど、ルーニー・マーラと妹のケイト・マーラは口許以外全然似てないなと思っていたけどあるシーンで歩き方がすごいそっくりで、DNAとは違う、環境によって生れる家族間のそういう繋がりみたいなもんに関心した。ほんと余談。

 

 

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ヘイトフル・エイト

70mmフィルムの超ワイド画面のおかげで閉塞感を感じさせない密室殺人劇。そこに時代背景から「北軍/南軍」やスリラー特有の「探偵/犯人」といった対立構造をうまく作り出し、観るものに心理的圧迫感を与え、適度な緊張感を終始保ち続けている。 

しかしクエンティン・タランティーノ自身が「最高傑作」とのたまうには程遠い陳腐なストーリーに、もったいぶって喋るキャストのせいで最悪のテンポ感を生み出し、おまけに苦痛にすら感じられる3時間。タランティーノが生み出す爽快感を楽しみにしていくとそれこそ地獄絵図。これが映画ではなく途中休憩付きの舞台だったら最高だったろうに。脚本&編集の徹底的なスリム化が必要。

 

 

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マネー・ショート -華麗なる大逆転

他者よりも稼ぐこと、成り上がることの正当性を無条件で支えてきたいわゆる「アメリカンドリーム」という概念が腐敗しきった資本主義経済と失われていく倫理観によって成り立っており、そしてそれが崩壊していく様を目の当たりにして自らの道徳性をも疑っていくスティーブ・カレルとクリスチャン・ベールの演技は見事。そして総出演シーンは短いが、お腹ダルダルでも確実に名言を残すブラッド・ピットの抜け目のなさが際立っている。

ハリウッド志向のエンターテイメントで第四の壁を軽々と超え、「ショー」としてのビジネスの華やかさを積み上げた前半と、ブラピのある一言からセリフ数と映画全体のテンションが抑えられ一気に本格志向へと傾く後半とのその対比に言葉を失う。「華麗」からは程遠く、現実に起きた恐怖の真実を真正面から描き出すことで、金融ショックの純然たる「被害者」であるサブプライム層に対して真摯であろうとする脚本は秀逸。

パンチパーマもどきが劇的に似合っていないライアン・ゴズリングと、ゆるダボファッションでも隠せてないバットマン仕上げの戦闘用筋肉のせいで、金融マンとしての説得力をことごとく失うベールには失笑。