最近観た映画 -2016年4月末〜5月前半

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アイアムアヒーロー

終盤まで英雄のZQNへの恐怖とそれを乗り越えるまでをしっかりと組み立てることで、ラストの戦闘シーンでの活躍っぷりに大きく拍車をかけることに成功した。特にその葛藤シーンでの大泉洋の演技が最高で、役者としての器用さを存分に発揮していた。また序盤の見せ場である仕事場からタクシーに乗るまでの間、日常がZQNの出現により一気に崩壊していく長回しシーンは邦画ではなかなかない臨場感だった。

けれどそのタクシーがクラッシュしてからショッピングモールに入るまでほぼZQNに遭遇せず、比呂美もあっけなくZQNに変わってしまった割にやけに従順で、ダラダラと緊迫感のないシーンが続いてしまった感がある。2人で難局を超えるシーンがもう一つくらい欲しかったし、撃つのをためらうシーンももう1箇所くらいあってもよかった。

また映画オリジナルのギャグ要素がことごとく外していて、笑えないし完全に蛇足。そんなことなら削ってしまった原作シーンをもっと生かして欲しかったし、少なくともタクシーのドライバーは原作通りの人が良かった。

 

 

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シビル・ウォー キャプテン・アメリカ

何と言っても見所は6対6のヒーロー激突シーン。飛び道具や空中戦で相手を翻弄するトリックスターが画面狭しと動き回り、ハルク、ソーという圧倒的な制圧力を持つ2大パワーアタッカーを欠きつつも余りある、シリーズ史上最高ともいえる興奮度極大の戦闘を繰り広げてくれた。

なかでもスパイダーマンアントマンが突出しており、キャプテンやウィンターソルジャーなどのオールマイティキャラを圧倒する戦闘力はもちろん、今回シリアスムードで口数の少ないアイアンマンに代わって舌戦でもシーンを盛り上げる活躍ぶり。近接戦闘ではブラックパンサーやホークアイがなかなか健闘し、全体的に戦略の幅が大きく広がり今後のシリーズにおいてもかなり期待が持てる仕上がりとなった。

わかりやすい伏線にミスリードを作りつつ、最終的には当初の伏線を生かした展開に持っていく脚本も秀逸だった。また今作のスーパーヴィランは特殊な能力や装備を一切持たないただの人間だが、巧みな戦略で主人公たちを追い詰め、その出自や背景も含め「ヒーロー活躍社会における光と影」を改めて浮き彫りにした。

今後の課題は迫力がありつつ増え続けるヒーローたち個々の個性をうまく生かした今回を超える戦闘シーンと、完全に一見さんお断りとなったシリーズ展開をどうやって説明臭さを廃してストーリーに取り込むかということ。

 

 

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フィフス・ウェイブ

少年兵として訓練を受けているはずの子どもたちの銃の持ち方がゆるくて、ちょっと本格的なサバゲーをしているようにしか見えなかった。冒頭の津波のCGも既視感にあふれオリジナリティ不足。事実上一人の手によって壊滅する米軍基地や、俺たちの戦いは始まったばかりだエンドなどいろんな部分に粗さが目立った。

見所はクロエの生足とワイルド山男風イケメンの筋肉のみ。トワイライトシリーズよろしくアメリカのティーンがキャーキャー騒ぎながら鑑賞している感じが容易に想像できた。ストーリーうんぬんよりもそういった楽しみ方を楽しめる方が楽しむべき映画。

 

 

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ズートピア

新人女性警官の目を通し、人種や性別による偏見や差別、多様性共存などを動物の世界にたとえてうまく表現していた。またウサギとキツネという天敵同士の組み合わせながらも軽快な掛け合いが楽しく、バディムービーとしてもまとまっていた。

しかしペンのネタや見た目とのギャップネタなど、同じネタを何度もこすりすぎだし、ヒロインの実家はニンジン農家だったはずなのに急に出てきた特産ブルーベリーや、一番描かないといけないだろう、肉を主食にしていない肉食動物たちの普段の食事のシーンが欠けているなど、いろいろと説明&説得力不足な部分を多く感じた。

なにより悪賢いのがキツネの一番の特徴という設定なのに、それが生かされたのが登場シーンだけで、彼を手玉にとるウサギや暗躍する諸々のキャラクターのせいで肝心要のキツネのキャラがどうにも霞んでしまった。おまけに幼い頃のトラウマシーンが闇すぎてどうにもこうにも重すぎる。

冒頭と最後で同じ曲を2回も聞かされるくらいならその分の時間をもっとうまく活用して欲しかった。全体的に惜しい部分の多い作品だったが、ズートピア自体の圧倒的なビジュアル美と世界観は細部までとてもよくできていたので、もし演出面を強化した続編ができるのなら期待したい。

 

 

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ヘイル、シーザー

コーエン兄弟にしてはややブラックさがもの足りないが、下らない会話の応酬が実に面白かった。また劇中劇の体で随所に盛り込まれるウェスタン、タップ、シンクロ、歴史スペクタクル映画のワンシーンがどれも50年代調の雰囲気に統一されており、本編とは別にそれ単体でも楽しめた。

一癖、二癖ある上、どいつもこいつも安易な笑いを取りに来る超豪華な俳優陣の中で、終始冷静に一歩引いて事態を収拾させていくジョシュ・ブローリンは圧巻の貫禄。とはいえ一番はやはりコーエン作品おなじみの三枚目ジョージ・クルーニー。誘拐犯に懐柔され小憎たらしさを全開にしつつも直後にジョシュのビンタで意気消沈、と思ったらその直後に映画人の労を報いる奇跡の一瞬を見事に演じていた。

欲を言えばもっとレトロにするか、現代映画ののりでいくのかどちらかにもっと傾いて欲しかった。レトロでいくのであればフィルムや音楽などももっと当時の技術感を再現して欲しかったし、そうでなければもう少しテンポ感を意識して欲しかった。

最近観た映画 -2016年3月後半〜4月3週

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リリーのすべて

光源を意識し、シルクやナイロン、役者自身の肌など、シワの一つ一つまで計算しつくしたと思えるほど素材の質感に徹底的にこだわり抜いた映像美に感動。触り心地は容易に想像でき、また画面を通して香水やその場の空気までもが匂い立ち、映画への没入感を高めている。

トランスジェンダーに苦しむリリー本人ではなくあくまで妻・ゲルダの視点から描くことで、環境の変化に振り回される周囲の人々という、観客にとってわかりやすい感情移入の手段を作ることができている。特に中盤以降、女性としての生の渇望と焦りからやや独善的になっていくリリーとは対照的に、手術のために旅立つ夫を笑顔で見送り決して涙を見せまいとするなど、葛藤しながらも現象に真摯に向き合うゲルダの姿には涙を禁じえない。

手の動きや振り向き方など女性としての所作を完璧にこなし、見事に男女二役を演じきったエディ・レッドメインと、愛する夫の中に潜むもう一人の人格に翻弄され「彼女」との向き合い方を模索し続けるアリシア・ヴィキャンデルの2人は実に素晴らしかった。

 

  

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バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生

映画としてはヴィランとしてポテンシャルを発揮しきったジェシー・アイゼンバーグの一人勝ち。ベン・アフレックエイミー・アダムスローレンス・フィッシュバーンなど、その他の実力派俳優に囲まれて、ムキムキの筋肉以外主演としての存在感を発揮しきれなかったスーパーマンヘンリー・カヴィルには同情するしかない。

バットマンに関しては ハイテク技術を情報処理やビークルばかりに使って肝心の戦闘は忍者仕込みの肉弾戦に頼りきりだったクリストファー・ノーラン版よりも、様々なガジェットを直接戦闘に組み込み、逃げ回りながらも狡猾に戦う今作版のほうが本質的で、何よりも「人類代表」としての側面がより強調されている。

レックス・ルーサーの悪目立ちや伏線というにはあからさますぎる展開を中盤に持ってきたせいで、主演2人の対決というテーマが霞み、あくまで今後のシリーズの「前章」にしかなりえてない。一番の見所となった終盤のハイグレードなCGも今後のシリーズの内容次第では逆に今回の出来の良さが足かせになってしまいそう。

それにしてもどうみてもバット・ケイブよりローテクにしかみえないクリプトン星の宇宙船はいかがなものか。 

 

 

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ロブスター

人間関係や恋愛における欺瞞とコミュニケーションの不和を巧みに描いた秀作。シュールながらも実力派俳優たちが主役・ヒロインをはじめ端役に至るまで配されているので、監督のただの自己満足に陥ることなくその世界観に対する説得力が感じられる。

うわべだけの親友に嫌気がさした女性の人生最後にやりたいことが真の友情を描いた「スタンド・バイ・ミー」を観ることだったり、主人公とヒロインが「禁じられた遊び」のメロディに乗せてコミュニティで禁止されている恋愛に燃え上がったりと随所に皮肉たっぷりな演出がされている。

最後に主人公が取る手段が究極の愛の証明でありつつ、しかし相手との共通点を持つことでしか恋愛関係に発展できない、という極端に屈折した世界観の上に成り立っているというところがキモ。

 

 

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ボーダーライン

グロテスクだが作り物感を排した屍体や、停車した窓の先に何枚も貼られている行方不明の女性の写真など、麻薬カルテルに支配され腐敗し切ったメキシコの街のリアルを物語るに十分すぎる説得力を画面に与えている。

銃弾一発が心臓にまで響いてくる音響設計や無音と重低音が響きわたる劇伴の使い分け、暗闇でも暗視カメラの映像などを使うことで、緊迫感を最初から最後まで切らすことなく保ち続けることができていた。

ケースオフィサーがはまり役なジョシュ・ブローリンのおかげで観客と同じ立場にヒロインが立ち続け、先の読めない展開への困惑や苛立ち、善悪の狭間での葛藤などのヒロインの感情が実が感じ取りやすくなり、それと同時に終盤になるまでこの一連の事件における「主人公」が誰なのかということが実に巧妙に偽装されていた。

オール・ユー・ニード・イズ・キル」では歴戦の勇士にしてはパリコレモデルもびっくりなほどストイックに絞り込みすぎていたエミリーだが、若干肉をつけてFBIとしての貫禄を備えていた。

 

 

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スポットライト 世紀のスクープ

カトリック教会の腐敗」という日本人には馴染みにくい題材ではあるが被害者のインタビューや統計的なデータなどを挟むことで、話の筋の理解度が増し、役者たちの迫真の演技によりその衝撃度もしっかりと感じられる。特にエンドロールにまでしっかりと演出の手が入っているところが良かった。

奪われたものは何か、誰から奪っていったのか、そして誰が奪い、また知らずと奪ってしまっていたのか。4人の編集員をほぼ平行に扱い、地道な取材を繰り返し事実関係が徐々に明らかになっていくことで、それぞれの立ち位置からの真実との向き合い方が多面的に描かれている。

だが良くも悪くも脚本一本勝負でエンターテイメント性には欠け、小規模な見せ場が連続しているが決定打といえるようなワンシーンの盛り上がりはいまいちで、映画全体としてみれば凡庸な印象しか受けなかったというのが正直なところ。 

 

 

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レヴェナント 蘇えりし者

ディカプリオの圧巻の演技、その一言に尽きる。確かにこれでオスカー獲れないわけがない。大自然の脅威にさらされる中、瀕死の体で必死で生にしがみつく姿を体当たりで演じきったディカプリオには鳥肌が止まらなかった。

お得意の長回しや、吐く息でレンズが曇るほどの寄り、そして照明ではなく自然光を用いるなど随所にこだわりの光る撮影技法のおかげで俳優たちの迫真の演技に肉薄し、臨場感・没入感を極限まで高めている。特にラストのディカプリオ対ハーディの格闘シーンは、どこぞのスーパーヒーローたちには到底真似できない、屈指の名シーンに仕上がっていた。

ただネイティブとフランス人猟士団の一幕などではカットを挟まないことが仇となって会話が混線し、特に字幕を追いながらでは一体誰が話しているのかわかりにくいシーンもあったのが残念。

最近観た映画 -2016年2月後半〜3月前半

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スティーブ・ジョブズ

三部構成のオペラが如く、完成された構成。徹底的に間を廃して隙を与えない舌戦に次ぐ舌戦、自らのポテンシャルへの絶対的自信とそれからくるキャラクターの異常にまで見える傲慢さ、そしてシークエンスに的確にマッチさせ確実に物語を盛り上げていく劇伴は圧巻。特に劇伴はそれぞれのシーンに合わせテクノ、クラシック、オペラ、ロック、アンビエント、そしてボブ・ディランと異なるジャンルを巧みに使い分けていて、改めてダニー・ボイルのセンスに感服した。

以上のことは全てが脚本家を同じくするデイヴィッド・フィンチャーの「ソーシャル・ネットワーク」でも言える。だが決定的に違うのは今回の主たるテーマである「親子」の関係性について。誰が誰に対して「親」であり、そして「子」なのかという多重的なこの関係性について見ていくと驚くほど深みが備わっていく。大人になることを拒み続けたザッカーバーグと大人になる決意をしたジョブズ。セリフを中心に映画を構成するという同じアプローチで真逆となる主題の映画を一人の脚本家、アーロン・ソーキンが生み出したことも実に興味深い。

 

 

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キャロル

圧倒的な美的センスによる画面の色彩バランス。ケイト・ブランシェットの赤とルーニー・マーラの藍を基調にし、50年代の見事な意匠に合わせてセット、映像を配置・配色していく計算し尽くされたコーディネートに息を飲む。

夫に騙され、子供を奪われ、親友に愚痴をこぼしていても美しさに隙を見せないケイト、変なニット帽で男にも女にも、恋人にもそれ以外にも隙を見せつけまくる麗しいルーニー。その対比によって2人の関係性がとても見事に描かれ、お互いの美点に惹かれ、女性が女性に好意を抱くという映画自体の主題に直結していく。そして展開していくにつれてそれぞれの方法で自立し、2人の関係性が瞬間逆転するその一瞬だけこの映画で唯一真の弱さをのぞかせるケイトがたまらない。

余談だけど、ルーニー・マーラと妹のケイト・マーラは口許以外全然似てないなと思っていたけどあるシーンで歩き方がすごいそっくりで、DNAとは違う、環境によって生れる家族間のそういう繋がりみたいなもんに関心した。ほんと余談。

 

 

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ヘイトフル・エイト

70mmフィルムの超ワイド画面のおかげで閉塞感を感じさせない密室殺人劇。そこに時代背景から「北軍/南軍」やスリラー特有の「探偵/犯人」といった対立構造をうまく作り出し、観るものに心理的圧迫感を与え、適度な緊張感を終始保ち続けている。 

しかしクエンティン・タランティーノ自身が「最高傑作」とのたまうには程遠い陳腐なストーリーに、もったいぶって喋るキャストのせいで最悪のテンポ感を生み出し、おまけに苦痛にすら感じられる3時間。タランティーノが生み出す爽快感を楽しみにしていくとそれこそ地獄絵図。これが映画ではなく途中休憩付きの舞台だったら最高だったろうに。脚本&編集の徹底的なスリム化が必要。

 

 

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マネー・ショート -華麗なる大逆転

他者よりも稼ぐこと、成り上がることの正当性を無条件で支えてきたいわゆる「アメリカンドリーム」という概念が腐敗しきった資本主義経済と失われていく倫理観によって成り立っており、そしてそれが崩壊していく様を目の当たりにして自らの道徳性をも疑っていくスティーブ・カレルとクリスチャン・ベールの演技は見事。そして総出演シーンは短いが、お腹ダルダルでも確実に名言を残すブラッド・ピットの抜け目のなさが際立っている。

ハリウッド志向のエンターテイメントで第四の壁を軽々と超え、「ショー」としてのビジネスの華やかさを積み上げた前半と、ブラピのある一言からセリフ数と映画全体のテンションが抑えられ一気に本格志向へと傾く後半とのその対比に言葉を失う。「華麗」からは程遠く、現実に起きた恐怖の真実を真正面から描き出すことで、金融ショックの純然たる「被害者」であるサブプライム層に対して真摯であろうとする脚本は秀逸。

パンチパーマもどきが劇的に似合っていないライアン・ゴズリングと、ゆるダボファッションでも隠せてないバットマン仕上げの戦闘用筋肉のせいで、金融マンとしての説得力をことごとく失うベールには失笑。

最近観た映画 -2016年1月〜2月前半

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クリムゾン・ピーク

グレルモ節で再現された1900年代の意匠が見事。特に映画のために丸ごと設立された、物語の舞台となるシャープ家の邸宅は圧巻。

全体的に脚本はアレだが、それを補うミア・ワシコウスカの可憐さ、トム・ヒドルストンのゴージャス感、そしてジェシカ・チャステインの鬼気迫る狂気など、各演者の見事な演技がそれを補っていた。

 

 

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エージェント・ウルトラ

文科系のジェシー・アイゼンバーグも本格アクションを頑張っていたが、最近の室内アクション映画に比べると…。

全体的なスピード感はアクション・ロマンスのどちらに寄りすぎることもなく心地よかったが、クリステン・スチュワート演じるフィービーがどうしてそこまで主人公マイクに惚れ込んでいるのかの説得力が感じられなかった。

 

 

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ザ・ウォーク

主役のジョセフ・ゴードン=レヴィットのフランス人役の演技、そしてワールド・トレード・センターの完璧な再現には舌を巻いた。特に今は無きこのツインタワーに対する監督の深い愛情をこの映画全体から強く感じられた。

とってつけたような3D演出にはやや興ざめだが、高さ、そして距離感を感じさせる見事なCGは彼の命をかけた挑戦に肉迫させてくれる。

 

 

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残穢 -住んではいけない部屋-

「呪いのビデオ」シリーズの中村義洋監督が、原作の薄気味悪さにどこまで迫れるか、注目はしていたが、原作読了後ほどの感覚は味わえなかった。それでも、「怖さ」というよりも「居心地悪さ」に重点を置いた演出は原作のテイストにもマッチしていた。

 

  

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 オデッセイ

  

スケール感や作品のテーマに見合った重厚感で観るものを圧倒してきた諸作とは異なり、それを吹き飛ばすようなテンポ感の良さに、リドリー・スコット監督、78歳での新境地を感じた。

孤軍奮闘というよりもチームワークの勝利といったところだが、驚異のバイタリティと独特のジョークセンスで命と映画のテンションをつなぎ続けるマット・デイモンの演技は流石。

そして「趣味の悪い(笑)」ディスコ音楽満載の中で不意に流れたデイビッド・ボウイの"Starman"に思わず泣きそうになった。